童美連の歴史

1950年〜60年代

児童書出版の時代背景

画家に対する著作権は、まったくと言っていいほど認知されていなかった。
出版社の従来の慣行は「買い取り」。
原稿料で原画の所有権が移ったような誤解があり、原画返却がされない。
無断で原画を改ざんされることも多々あった。
画家たちの訴えに対し、当時の書籍出版協会の弁護士は「包括的著作権は画家ではなく出版社にある」
という、誤った主張をしている。印税はもちろん無かった。

1964年

2月

教科書執筆画家連盟の結成

教科書の挿絵が何年再使用されても画家にお金が支払われないことに対し、弁護士を代理人にして教科書出版社に申し入れをする。 会員83名

8月

児童出版美術家連盟の誕生

教科書執筆画家連盟の名を変更し第一回の総会を開く。
初代理事長:太田大八(理事の互選)。
岩崎ちひろ、長新太、滝平二郎、瀬名恵子、安泰、若山憲など、設立時会員154名

1965年

3月

会員より著作権侵害の訴えが相次ぐ

原画に無断加筆、テレビ幼児番組での絵本・紙芝居の無断使用など。
文芸美術国民健康保険に団体加入。

9月

美術著作権連合の結成

童美連が呼びかけ美術関係6団体で構成。
初代理事長:武井武雄 事務局長:大田大八
美術著作権の啓蒙、著作権の研究を行う。

11月

教科書協会との調印にいたる

再使用には著者の同意を得る。
再使用料を払う。
修正には著者の同意を得ることを定める。

1967年

著作権シール作成

著作権が画家にあると明示したシールを全会員に配布。
原画の裏に貼り、出版関係者を啓発するため。

1968年

6月

S社の著作侵害事件が始まる

「世界の童話」17巻の表紙が無断使用や改ざん。著作者人格権と財産権の侵害。

8月

抗議と謝罪を求めるが、S社が一切応じないため、23名が訴訟に踏み切る。

12月

公判が始まる。

1972年

11月

S社裁判の和解が成立

この裁判闘争は、出版界全体に対する問題提起であった。 画期的な和解条項は、出版界の著作権意識を変えていく大きなきっかけになった。 

和解条項

  1. 絵画の使用に際し加筆、修正、削除等の変更を加えたことに対し遺憾の意を表明。
  2. 和解金の支払い。
  3. 和解成立の広告を読売新聞全国版に一回掲載。
  4. 今後は執筆契約を文書により締結。著作権制度の趣旨を尊重し、その擁護に協力することを約する。

1975年

10月

第一回童美連展 開催 池袋東武百貨店で

以降第五回まで、新宿京王百貨店で毎年開催された。

1983年

日本児童出版美術家連盟と改称

原画返却ゴム印を全会員に配布。

1990年

WHO’S WHO No.1 を発行

絵付きの会員名簿という形式で発行された。

1991年

複写権センター(現複製権センター)発足。 参加

1992年

7月

書籍のバーコード表示について、危惧をもつという声明文を発表

1994年

9月

童書四者懇談会(現児童書懇談会)で出版契約書ひな形完成

この出版契約書は、童美連、日本児童文学者協会、日本児童文芸家協会、日本書籍出版協会児童書部会との数年の話し合いを経て、合意のもとに作成した。

1999年

7月

日本図書教材協会との協定書を結ぶ

教材の絵画についても著作人格権・財産権を尊重することを定める。

2000年

7月〜8月

「ドキドキ ワクワク 子どもの本ワールド」開催

子ども読書年にあわせ、大崎ゲートシティにて。全体の企画構成を童美連が行い、子どもの本に関わるすべての団体が初めて集う大きなイベントになった。
入場者数公式発表 30137人。

7月

童美連ホームページ立ち上げ

2004年

5月

童美連40周年記念として「月刊絵本クロニクル」刊行

時代を鮮明にうつしだす月刊絵本を、1927年から俯瞰したもの。
戦時中の貴重な資料の多くを、大阪国際児童文学館から提供していただいた。

6月

書籍・雑誌にも貸与権が認められる

施行は2005年1月1日

10月

出版物貸与権管理センター設立

2005年

紙芝居に初めて印税を認めさせる

会員K氏の申し出により、童美連として最大手のD社と交渉。
D社、S社、ともに承諾。

2006年

児童書四者懇談会で読み聞かせのガイドライン「読み聞かせ団体等による著作物の利用について」を公表

公共図書館をはじめ、読書ボランティアの人たちの著作権意識を高める。

2011年

3月

一般社団法人として新たな歩みを始める